getupkids

立ち上がれ、少年よ

季節の冷え込み時期や切り替わる速度が今年は急激なような気がする。
久々に高熱出したり、咳がとまらなかったりと体調を崩してしまった。

要因は分かっている。
the get up kidsのライブだ。

皆様。
おはこんばんにちは。
らせん。a.k.a 上里洋志です。

まだまだスポンジの様に自分の音楽知識を貪欲に吸収したい時期、19〜20頃かなぁ。

圧倒的且つ、独創的な美メロディに、反する様な乱暴的で鋭いギター、色鮮やかなリズム。
今となっては流行語みたいになってしまった「emo」というジャンルのパイオニアに初めて出会った瞬間だった。

一気に引き込まれ、the get up kidsの魅力に未だに翻弄されている。日本のアーティストにも、メジャー、インディー問わず多大な影響を与えているはず。

また、感覚的だが感じる「インディー感」「マニアック感」も魅力の一つだと思う。

馬鹿でかいスタジアムで演奏するfoo fightersやweezerとは違い、地下室の小さなライブハウス、強いて言えば練習スタジオなんかで、沢山のマニアなお客さんと揉みくちゃになりながらライブをしている風景が感じられる活動スタイルが、良質な楽曲とのアンマッチ感を感じ、自分だけが知っている「特別感」を感じるバンドの様な優越感が「インディー感」なのだろうか。何にせよ心地よい。

いわゆる「詳しく音楽を知ってる人」じゃないと知らないだろうというバンドではあるが、実を言うと、このthe get up kidsにハマったきっかけは、苦しくも自身の探究心からではなく、普段全く音楽を聴かない、知らない、探究心もない、自分が好きなやつだけしか聴かない、我らがハーフのベースリーダー、岡村健人がきっかけだったのだ。



ハーフライフに加入したばかりの当時、weezerやblink182の流れから、よりインディーに探究心を傾け始めていた18歳の頃、the get up kidsには出会った。「on a wire」というアルバムだった。当時彼らは楽曲スタイルを変化し始めていたタイミングでその勢いのある楽曲アレンジを少し大人アレンジに落ち着かせた時期で、正直当時の僕の琴線には触れなかった。

バンド、音楽との出会いは本当に入り口が大事で、アルバムスタイルの変化したセンシティブな時期に出会ってしまった僕は、それ以外the get up kidsを掘り下げる事はなかった。

その後、ハーフライフに加入し始めた頃、カナダのバンクーバーにあるマリファナでいつもラリってる受付のジジイがいる練習スタジオに向かう車内で、健人が徐にthe get up kidsを流し始めた。

何故健人が知っているのかは知らないが、海外に住んでる以上、音楽知識の流入は至る所にあるのとは思うが彼らの作品の中でもマニアックなepシングルだった。「red letter day/woodson」という作品。

その中に収録されている「anne arbour」「mass pike」と言う楽曲に一気に引き込まれてしまった。

車内で「たけちゃん、誰これ?」
「なんかよく知らないけどthe get up kidsってバンドのやつ、いーやろ」

何と…健人の口からthe get up kids….
考えられない…GREENDAYすらまともに聴かない彼からthe get up kids??

え!一枚だけCD持ってるけど、こんな感じだったんだ、、、ものすごいカッコ良いじゃない。

それからというもの車内は、常にthe get up kidsを垂れ流し、挙句2人でパートを振り分け、互いに歌いまくっていた。その時期くらいからだろうか。当時メインボーカルだった健人が徐々にコーラスを始め、楽曲も僕がメインボーカルを務める事が増え始めたのは。

the get up kidsも同様、最初は現在のリードギターがメインボーカルをはっていて、徐々に現在のボーカルにシフトしている。

今年久々の来日という事で、ライブを観に行った。やはりとても素晴らしく、終始叫びまくりの歌いまくり、挙句ダイブまでかましていたので、まあ風邪ひくでしょうよ。

the get up kidsをみてdownする。
get up→downとは皮肉ですな。

まあとっても楽しかったから良し。




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