Half-Lifeワンマン

Half-Life

さて、怒涛の7月上旬が終わりました。
7/5渋谷サイクロンの「令ノ章」、7/15下北沢シェルターの「和ノ章」来て頂いた方も、来れずとも思いを届けてくれた方も、過去も今もハーフを知ってくれている全ての方へ感謝の2日間でした。

皆さん。
おはこんばんにちは。
らせん。a.k.a 上里です。

自分達が思っていた以上に自分達が求められているんだな。愛されているんだなと感じました。

ハーフ以外にも音楽活動をはじめ、今自分が出来る事、したい事を追求し、ステージで全身全霊を注いでいますが、多分其処では得られることの無い、圧倒的ホーム感、一番ナチュラルに上里洋志でいれる空間はやっぱりハーフのステージ以外にはなり得ないものなんだなと感じました。

決して仲が良く無い3人ではありますが

何かミスっても、カッコ悪い姿を見せても「コイツらが同じステージで僕の代わりに輝いてくれるから大丈夫だ」というか、スラムダンク湘北チームの赤城キャプテンばりの感情が湧き上がってました。
勿論、来て頂いた皆んなが僕が歌を歌えないパートで一緒に歌ってくれる瞬間、瞬間が本当に支えになったし、あれがあったからこそワンマンを、またライブをやろうと思えたんです。

本当に感謝でした。

ひとまずイベントが終わり、感情や環境が整理されたら一旦、今後のハーフの活動をどうやっていこうか考えます。
続けていくことの素晴らしさはあります。間違いなく。でもそこにはロックバンドの格好良さがあってこそなんでは無いかなぁとつくづく思うわけです。
カッコ悪い自分も、惨めで声が出ない自分も受け入れてくれっていうのは僕はちょっと違くて。
ステージに立つ以上、求められて、且つ自分も認めるロックバンドでありたいと思うのです。

改めてHalf-Lifeは孤高でありたいなぁと感じました。

群れない、媚びない、真っ直ぐに誠実に。寄り添う、手を差し伸べるばかりの音楽はしない。
ケツを叩き、一緒に立ち上がれる音楽でありたい。その音は日常から逃げ込む音楽ではなく、日常に立ち向かう音楽でありたい。
いい事なんて無いなら、無責任にいつかいい日が来るとは歌わない。
願わくばいい事なんて無いと歌いたい。
そして其処で精一杯に生きたい、生きなさいと歌いたい。
其処へ賛同する思いを持った人達が集まり、ひとつの空間を創り上げることが出来るバンドであれれば。

掲げる理想像のベクトルが変わったのかな。

めちゃくちゃ売れたい、大きいステージでライブをしたいというビックドリームはもう欲しくなくなっちった。それは正直に。

ただただ一つ。
Half-Lifeは納得出来るカッコいいロックバンドでありたい。
自他共に納得出来る、カッコいいロックバンドでありたい。

その答えは出たかな。一つ四角い枠の中に刻める事。

後はカッコよくあり続けていられる自分達でいれるのかを考えます。

10年。
振り返る足跡に縋ってばかりじゃ駄目なんよ。




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