亀井

時に愛は

目まぐるしく日々を過ごしているせいか、少しでも落ち着ける居場所を探す事が多くなってきた。
のんびりカッフェでお紅茶とクッキーをしばき上げながら、好きな音楽を聴き語るみたいな。

皆さま。
おはこんばんにちは。
らせん。a.k.a 上里です。

昨日、らせん。BANDのリハ前に下北沢でたまたま寄ったコーヒースタンドで、オフコースのレコードを聴きながら、インディーズ時代から解散までの歴史、アルバムの音作りから海外でのミックス作業について、カバー曲やオリジナル曲の聴き比べなどをするというイベントに居合わせた。

店内には、レコード好きのお兄さんが司会をしながら、オフコースの当時の秘話や、レコーディング背景、その当時メンバーが制作の際に、インスパイアされたであろう海外グループの模索を言い合うなど、異様な光景で、まったく音楽に興味の無い方だと、うんちくで飲んでるコーヒーが不味くなるのではと感じるくらいマニアックな空間だった。

あまりオフコースは聴いていなかった僕だが、店内に響く、素晴らしく高音質なスピーカーの音色と、レコードの音の良質さを感じてゆくほどに、オフコースの凄さを感じざるを得なかった。

かなりレアなライブレック音源のレコードを聴いていたのだが、当時、オフコースはデビュー前だったらしく、楽曲のレパートリーが少なかったようで、マーヴィンゲイのカバーをレックしていた。

驚愕だった、、、、。約40年前のレックとは思えないほどの音のクオリティと、なんせ演奏力の高さ。

コーヒーをすすりながら、下を向いて息をスースー吸い狂い、僕なんかが音楽やってすいませんばりの反省と懺悔を繰り返さざるを得なかった。

下手なくせに、盛り上がれば、観客が手を挙げればという安易な安っぽい現代のバンド音楽を恥じたし、危機感を覚えた。

しかしデビュー前で、レパートリーも少なく、ほぼ海外グループのカバーなのにも関わらず、中野サンプラザでのコンサートだったようで、当時のオフコースへの人々の熱量と、偉大さも感じた。
しかも当時20代とかかな、、、。

現代のように溢れかえる数のグループの選択肢や、音楽鑑賞の選択肢がない分、人々がこぞって集結していたのではとは思うが、現代の環境だったとしてもきっとオフコースは人々の琴線に触れるだろうなと思う。




歴史を辿りながら、時に愛はという1980年の楽曲を聴いた。
恥ずかしながら初めて聴いたが、アレンジメント、メロディ、歌詞、音質、全てにおいて胸を打たれた。音楽に対しての敬意がある。
音楽が大量生産され、商品的、芸術的価値が失いかかりつつあるのは何も時代のせいだけでは無く、作り手の芸術に対しての誠実さや寡黙さのようなものが薄くなり、耳にする人に「音楽を聴く」という非現実的空間を与えてあげれてないなと感じた。日常に溶け込むだけの音楽は、溶けて無くなってしまうんだなと。

隣にいた、いかにも音楽マニアなオヤジが「若いのに、わかるの?オフコース?いいね、この良さが伝わるのは嬉しいよ」と声をかけてきた。

今、僕もハーフやらせん。楽曲提供など携わる環境が増えていく中、後世に伝えなきゃいけない音楽への誠実さは絶やしてはいけないなと感じ、最後の一滴をすすり、店を後にした。




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