ひろしエッセイ

太平洋のように志すという大層な肩書き

チョコミントブーム到来なのか
巷にチョコミント味の○○をよく見かけるようになった。
よくライブに来ていただけるお客さんから
様々なチョコミントフレーバーのお菓子を頂いたり
自身でもいろいろ買ってはみたが

皆様
おはこんばんにちは。
らせん。a.k.a 上里です。

チョコミントブーム到来なのか
巷にチョコミント味の○○をよく見かけるようになった。
よくライブに来ていただけるお客さんから
様々なチョコミントフレーバーのお菓子を頂いたり
自身でもいろいろ買ってはみたが

やっぱりチョコミントはアイスが一番うまい。

(頂いておいてすいません。。。)

名前は出さないが、歴史あるお菓子シリーズが出していた
チョコミント味は何故このクオリティで商品開発や企画が成立したのかと戸惑うレベルでまずかった。

ブームだからそれに乗っかればなんでもよいのだろうか。
あまりお菓子は食べない方だが、その中でも定期的に食べたくなるくらい好きで、信頼していたお菓子だっただけに残念だった。

これは音楽にも精通するところがある。

四つ打ち、メロコア、シティポップ、お笑い要素。
みんなで一つになろうといったMC。

上記のムーブメントには必ずパイオニアがいて
そのパイオニアに精通する仲間、いわゆる最初のムーブメントの始まりの部分。
ここまではオリジナル…というかナチュラルにそれをやっているのはとても素晴らしいと思う。

これが更に肥大化し、いわゆる「…っぽい」「~系」などが巷に溢れ返り、本質の良さが薄れる、そしてアンチが生まれ、そのアンチがまた新しいムーブメントを生んだりする。

波に乗ったパイオニアたちは既にいなくなっているか、新しい事を始め、賛否両論を食らい、一定のムーブメントの後、「…っぽい」「~系」は当たり前だが、オリジナルですら生き残れない対象になってしまう。

しかしその後周りの流行りすたりは関係無く、オリジナルをひたすら突き進み続けている方々を見るとやはり「オリジナル」は「唯一無二」なのだと感動する。

だが「…っぽい」「~系」はどうオリジナルに太刀打ちしていくのか。
一定のムーブメント後に本質が見極められるのだろう。

竹原ピストルさんの歌詞で
「ホンモン、ぶっ倒す、極上のバッタモン」という一文にとても感動を覚えたことがある。

僕自身、20代前半のデビュー前は自身をいわゆる「ホンモン」だと思っていた。
しかし活動を続けていく内に、世の中の「スーパースター」ではない事を知った。打ちのめされた。

今巷をにぎわせている「スーパースター」に全く心をゆさぶられない僕は、その時に聞いた「極上のバッタモン」に感銘を受けた。

本物は信念をもって、誠心誠意向き合った結果であって
そこがナチュラルに雰囲気や表現に出るのだ。

そこに気づいたとき、それぞれの本質を問われるのかなあ。
世の中に提示された「バッタモン」は結果「ホンモン」になって
紅白歌合戦まで出たんだもんな。

がんばりますよ。諸先輩方。
パイオニアではないけれど、スーパースターでもないけれど
バッタモンなりに。

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